桜日の丸(Tanyenyo)について

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SO WHATにおけるライターであるTanyenyoであり、おれのサイトでのゲストライターであるところの桜日の丸が死んだそうだ。

これが伝聞でしかわからないことにずっと歯噛みしている。

死を知ったのはネットで、しばらく連絡が取れてなかったので戯れに検索していたらヒットした。

2011年の9月1日「偲ぶ会」をやっているというブログを読んだので、つまりは、それ以前に死んでいるのだろう。そのブログの管理人にコンタクトをとっておりますがその返事を待ちつつもはや4ヶ月。

彼の死んだ日も、どこに弔われてるのかも、死因がなんだったのかも、わからないことばかり。ケータイ番号とたぶんまちがいなく住所として機能してないアパートのそれしか知らない。そしてそうなると打つ手がないということも思い知る。

でも、ケータイが通じなくなったころ、返事がまったく返ってこないころを考えると、時期的に去年の夏くらいだったのかなとは思う。ちょこちょこ入院していたから、またそのタグイなのかと思ったりもしていた。

桜と出会ったのは大学だった。彼は落語研究会にいて、おれはおかたい「++研究会」ってのにいた。ともに文化系のサークルで、統括する生徒会役員みたいのを時期がちがえどやっていたので互いに面識はあった。

本格的に話をしたのは偶然ゼミがいっしょになって最初の飲み会だった。

流れが音楽の話になり、話が弾んだのがきっかけ。

田舎に18年、上京してから3年、おれの音楽的嗜好はずっと浮いていた。

「ナニソレ知らない」っていわれ続けてきた。

「週刊少年ジャンプ」で、スーペースインベーダーの音を音楽に使ってるかっこいいのが流行ってるよ!って情報でYMOを知って以下紆余紆余紆余曲折紆余曲折曲折って感じのミュージックライフだったのです。なおミュージックライフは買ってませんでしたので、まわりのハード系の音楽好きとも話が合いませんでした。

というか、「洋楽好き」はイコール「Heavy Metal好き」の時代でした。全員、「やっぱツェッペリンが」とか「マイケル・シェンカー・グループが至高」とか、そういう感じで。

かといって、邦楽はまだ歌謡曲ががっちり幅をきかせていてね。

そんな中、YMOを中心としたテクノポップ系はかなり少数派で隅っこのほうにいた。というか、少数派じゃなかった。おれのまわりじゃいなかったから。

おれは雑誌やラジオをヒントにほそぼそと音楽を探ってはきいていたのだったし、「音楽を聞く」とはそういうものだと思っていた。

あ、いや、ウソです。

そういうのが寂しかったので「仲間」を募ったりはしていた。でも、みんなつきあいレベルで、いっしょにファンになって「うぉおお」って感じはなかった。まあ、聞いてたものが聞いてたものだから拳を振り上げてどうこうってのでもなかったしなあ。

そんな中、なんのエクスキューズや前情報なしに音楽の話ができた最初のニンゲンが桜日の丸だった。「マイナーだけど**」っていって「ナニソレ知らない」とはいわなかったんだよな。みんな知ってて「渋い趣味だ」とホメてくれたな。

はじめてのことで戸惑ったけど、これは喜んでいいことなんだと、あとあとじわじわとうれしくなり、感謝していた。今も感謝している。

あいつのすごいところはどんな場やコミュニティにもいつもの間にか潜り込んでいることで、それがあいつを曲がりなりにも45歳まで生きながらえた要因ではあると推測する。いろいろなヒトの世話になり、いろいろなコミュニティに世話になり、「寄生」して比喩でもナンでもなく生き延びていた。

その片鱗は気がついたらおれのバンドにいてビートルズのカバーバンドだったところにオリジナルを持ち込んできたことからも伺える。

「ああ、オリジナルってこんな適当でも成立するんだ」と教えてくれたのもあいつだ。

そいで、バンドに入ってからは本格的に行動をともにするようになってきた。

彼は「ロッキンオン」派で、それを読んでは気になるCDを買い、「これいいよ」とおれのアパートまでもってきて多少押し付けるカタチで置いていった。それはおれの「音楽」の幅を広げるのに相当役には立った。

いっしょにCDショップにいて平気で1時間2時間とかいた。しかも御茶ノ水とかハシゴして。CDを眺めては、「これがほしい」とか「これがいいって話」とかを金と相談しつつ悩んで悩んで決めたり決めなかったり。今にして思えばとてもありがたくも贅沢な時間ではあった。以後まったくないからねそんな時間。CDを買うときは、誰かを待たせるか、待たせられるかしかない。

ずっと酒飲みだった。

今はゼロだし当時も家でひとりで飲むことはまずないおれの部屋には当然アルコールはないので、いつも持参してた。たいていパックの日本酒。そして、手酌で飲んでCDを聞いて馬鹿話をしてはしこたま酔っぱらった状態でふらふらと帰っていった。たまには階段を滑り落ちて隣のアパートの塀まで転がってアタマを強打して「いてえ」とうずくまったりしてた。

あんな、人当たりがよくて顔が広いオトコがよくこんな半自閉症のやつの家にきてたなとは未だに思うが、広かったゆえにに卒業して就職して「いろいろ」と4文字で片づけるには相当な「いろいろ」のあと、おれは富山で仕事をしていてもなお「最期」までつきあいがあったなとは思う。相手にしてくれてたというか。

そもそも「SO WHAT」自体も小冊子時代に桜日の丸がどこかの縁で参加してたのをおれに「なにか書いてみないか」と話を振ったのが縁ですからね。縁は異なもの味なものですよまったく。

まだ、実感はないので、ぼんやりとしてますが(せめて墓で手を合わせたいなとは思ってます)、遊んでくれてありがとうとは伝えたいかな。

ということで、ここから本文です。

桜日の丸が教えてくれた音楽。

1番はこれかもしれない。jellyfishの「bellybutton」ね。1stです。

当時はもうけっこうな話題になってた。たしか、いっしょにCDショップで買った。2軒目か3軒目で。

さっきも書きましたが、縁は異なもの?ってのは、モノにもあてはまるわけで、このタイミングでこう出会ったからこそスキ(キライ)になったということが往々にしてある。おれの場合、音楽はとくに大きいと思う。

桜日の丸とどこかのCDショップで買ったあとそのままおれの家にいって2曲くらい聞いたとき、とくにこの動画を貼り付けた「The Man I Used Be」が流れた瞬間の空気がなかったらそんなにハマらなかった気がする。もっといえば、教会のオルガンみたいなイントロにピアノの連弾、そしてファズトーンの切り裂くようなギターのイントロにやられた。

そういうことでいうと桜日の丸との出会いもタイミングがよかったのかもしれない。おれは当時落研がちょっとキライだったし。

もう1アーティストがこれ。They Might Be Giants。

1stアルバムから「けっこういいよ」とはいってた。桜日の丸はあまり押し付けないタイプで、相手が「No」の意思をみせたらすぐに引っ込める。

おれは、彼ら、The Men They Couldn't Hangとカンチガイしてたんですよね。そんなニセポーグスいらんわと思ってたんだよ。

でも、ニューアルバムが出るたびに「いいよ」といって、3rdの「フラッド」では持ってきて聞かせてくれて。ああ、これはいいもんじゃと。

それからはお互いにニューアルバムが出たら買う感じで。あいつは何度も来日ライブもいってる。

最近、っても、10年ちょい、ご無沙汰だけど。

そして、逆にデメリットもある。

あいつはそういうことでロッキンオンを相当古くから読んでおり、高校時代はバンドもやっていたということで、音楽、ロックに関しては「早い」し「多い」。

おれの大学時代はちょうどレコードからCDへとの移行が完了する4年間でもあり、レコード会社が1番儲かっていたであろう10年20年の幕開けでもあり、あらゆる音源がCD化されており、ロックを「勉強」しようと思ってたおれとしてはとてもありがたかった。復刻ってことで、今と比べると全然だけど、とっても「安く」売りだされてたし。

でも、あいつはいわゆる名盤をアナログでけっこう持っていた。そういわれてみれば「XTCみたいぞ」と紹介されたキャプテン・ビーフハートの「トウラウト・マスク・レプリカ」はアナログ盤を自慢気にみせてくれたな。

それだから、たとえば、「**ってどう?」ときくと、わりに答えが返ってくる。

「普通だよ」

これがあいつからかけられた呪いだったりする。

桜日の丸にとって「普通」というのはホメコトバではない。

「コンビニのゆうせんで流れていて耳をあっさり通り過ぎていく」という意味合いでの「普通」。

この呪いをかけられたために今もって聞いてないロック名盤はけっこうある。

たとえば、ザ・マザーズ・オブ・インベンションの「フリーク・アウト!」。

エルヴィス・コステロの1stと2nd。

当時花ざかりだったマンチェスター・サウンドの数々。ま、これは今もタイトルもアーティスト名も思い出せないんだけどさ。

それの最新はCLASHかな。最近のCDバカ安現象でいろいろと買い求めているときにメールでたずねてみて久しぶりに「普通」と返ってきたんだよな。「ロンドン・コーリング」。もう手に入れてしまってたよ。1stのほうが好みだそうです。

いくつものCDを貸し借りしたり、CD代も貸し借りしてて、何枚か借りパク?って怪しいのもあるがそれはもうどうしようもなくなったなあ。

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2011年の誕生日にこれを送った。

ありゃりゃ

http://30531.diarynote.jp/

おれのサイト内で連載してるという「てい」のあいつの日記を参照すればおわかりになると思うけど、どこでどう死んだのかはよくわからないけど、アル中更生施設みたいなところで出会った女性と半同棲でラブラブ状態。なおかつ音楽に興味が相当失せているようなことを書いていた。そいで、必死にEDをなんとかしようとしてた。そういや、おれにEDのクスリを通販で買ってくれなんてたのんだりしていたな。

しかしタバコ吸い始めて28年たつが一度たりとも禁煙なんかするつもりなかったもんなぁ。ドクターは3ヶ月後には薔薇色の人生が待ってますよと冗談半分に 言われたが、俺にとっては冗談ではすまされない。これで何も変わらなけりゃ禁煙した意味がない。とにかく後2ヶ月後に薔薇色の人生が来るのを待っのみだ。

これが2011年6月17日の文章。以降連絡もとれなくなったし音沙汰もなくなった。つまり薔薇色の人生はこなかったわけか、あるいは、バラ色のまま死んでいけたのか。

おれはこんな色ボケしていたあいつをみたくなかったのか、あるいは単に嫉妬していたのか。まあともかく好きだったパンクロックをきいて音楽の興味を取り戻してほしいとこのボックスを送ったのだった。

ちゃんと聞いたのかな。ま、今となってはそれを確かめるのもかなわないけどあの世ででも聞いてくれ。

そうだ。今年に入ってあいつの夢をみた。

約束してたのにこなくて怒って電話をかけたら電話先ですまなそうにしつついいわけしてて、「あ、こいつ死んでるんだっけ」と思いだし逆にもうしわけなくなったというもの。

夢の中でもあいつらしいなあと思った。あやまらないけど強気にはでない感じね。

あの世ならアル中になる心配も少ないと思うから心置きなく飲んでてくれ。

 

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コメント(4)

‥バラ色のまま死んでいけたのでしょうか。

私はそう思いたいです。
バラ色の人生が待っている‥っていう医師の言葉は、曖昧です。生か死か、その後方の意味で言ったのでは決してないけれど、私は勝手に解釈して、谷さんが今こころおきなくお酒を飲んでいる姿を想像します。
そういえば、年賀状を谷さんから頂いていました。その年賀状は走り書きのような太い字で、とにかくパンクっぽい感じでした。

すけきょうさんの谷さんへのこの文章を読めて、何かやっと心の整理のようなもの(実際お会いしてない私が言うことではないですが同じライターして)が出来ました。ありがとうございました。

「3分以内の曲じゃないとダメ。」
というTanyenyoの名言がいつも心に引っ掛かってます。

SO WHATで知り合ってから、何回目かのミーティングの時に
船橋の部屋にお邪魔して、T-REXを100枚持ってる(海賊版含め)のを
見せられて驚愕しました。

マンチェが流行った頃に
「グルーヴってのが、俺には分からない。」
と言っていて、その当時のハピマンとかローゼズとでわいわい言い合った。

ノールスのデモテープを貰いました。

何年か振りに会った時に
「演歌にハマってる。」
と聞いた時は、さすがだなと思ったし、
最後に会った時に
僕が「aikoにハマって追っかけやってんだ」って言ったら
「aikoいいんだ。聴きたい。」って。

どこまでも音楽に対して貪欲でした。


また、思い出したら書き込みます。

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sukekyo

活動地

富山県

自己PR

何時まで経っても銀色の円盤に振り回される日々であることよ。アルバムコンプリートするほどスキなのは、ムーンライダーズにカーネーション に相当お見限りであるけどXTC。 「ああ、そういうのね」って納得されるラインです。 ほかにも「いろいろ」と聞いてます。今ごろになり、やっと「いろいろ」といえ るくらいは聞いている気がします。それが血肉になってるかは微妙ですが。

印象に残った1枚
夏 | ヒカシュー
夏 | ヒカシュー

モノゴコロついたとき、YMO旋風はすでに吹き荒れていた。老いも若きもシンセ サイザーなるものを駆使したピコピコサウンドに夢中になっていた。風の噂によ るとあれは「テクノポップ」というものらしい。先んずりたいおれとしては「日 本のテクノポップ特集」という音楽雑誌を立ち読みしてヒカシューやプラスチッ クスの名前を知り、今は亡き富山駅前の「ユニー」でミュージックテープで 「夏」を買ったわけです。「おまえらまだYMOなんかきいてるの?」と優越感に 浸りたいがために。ヒカシューは、そうとう「なんじゃこりゃ?」ってな音楽で ありました。こんなのテクノポップじゃないと幼心に思いました。これは優越感 に浸れないぞと思いました。いきなり劇薬にふれてしまったために、その後の音 楽ライフが健全に進行するはずもないのです。そう、すなわち、今へといたる最 初の「ひと歪み」がヒカシューとなるわけなのです。

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