小さい頃はたいそう病弱でした。
広い庭で鶏を2羽飼っていたのですが、学校を休み熱が下がり具合が少し良くなってきたので庭に出て鶏の様子を見ようとしていると、ランドセルをしょった同級生が帰っていく光景に何度か出くわしたのを思い出します。
中学の三年間はもっとも大変だったけど、もっとも充実していました。
当時兄弟のいる家の上の子供がそこの小中学校だとエスカレート式に弟・妹も入れる仕組みになっていて、しかも家から徒歩で7分という近さのため、私もその国立の厳しい学校に自動的に入っていたため、朝は早くから中学校の校門の下を流れる川のお掃除をさせられました。研究授業も頻繁にあり、担任の先生が英語の担当だったので、英語の授業も大変厳しく。おかげですっかり英語が好きになりましたが。
しかし、受験期間に体調を崩してしまい、志望校には行かれず、ミッション系の女子ばかりの高校に入りました。
そこにはシスターと呼ばれる先生方がたくさんいらっしゃいました。校長先生はシスターの中でもっとも偉い方がなられていて、聖書とお祈りのときに使うロザリオを買いました。
神に祈っているのとは別の次元で、クラスの中ですすんでいるグループの同級生は他校の男子高校生と付き合っていて、かなり関係も進んでいました。
私は女子ばかりなのとシスターの存在がうっとおしく、本屋に入り浸ったり、友達の中で音楽に通なコがいて、坂本龍一のソロやヒカシューなんかのアルバムを貸してくれて、聴いてました。
でも、音楽に目覚めさせてくれたのはなんといっても私の6歳上の姉で、あれは小学校の高学年だったと思うのですが、姉の部屋に入っていったら、壁に綺麗な外国の女性の写真がジャケットのアルバムが立てかけられてありました。
「これは誰?」
「デヴィッド・ボウイ よ」
ボウイのLow のジャケットでした。
そして、私は気付いていました。
”あの毎朝凛として教壇で聖書を読むシスターだって恋をしていることを ”
短大はバイトに明け暮れ、気が付いたら成人式の年でした。
就職は父の縁故に頼るという自分のふがいなさを当時は全く感じなく、しかしそこを数ヶ月で辞めてしまい、今度は自分の力で県の外殻団体の協会事務局に入りました。
自宅から徒歩で8分位で会社に着くという楽な環境で、仕事自体も事務だったので、それほど難しくなく、緩やかに流れる時間をただ仕事をして費やしていきました。
洋楽は短大の頃知り合った人の影響もあり、非常に聴くようになっていたのですが、その頃は割とベストヒットUSA的な音を聴いていた私を目覚めさせたのが、Echo And The Bunnymen という英国のバンドでした。
それは今野雄二さんが司会をしていた深夜の音楽番組で、そのとき何気なく紹介されたのが、バニーメンのNever Stop のTop Of The Pops の映像でした。
私は目が釘付けになりました。
一目ぼれ。何回一目ぼれすれば気が済むのか、という問題ですが、そのときもまさにそうでした。
私はフロントマンのイアン・マッカロクに一目ぼれでした。外見・声・歌い方、申し分なく魅力的でした。
それからは洋楽の中でもNew Waveの類いのインディーバンドをこぞって聴くようになり。前述の高校時代の音楽通の同級生が東京の短大を卒業して帰ってきてたので、彼女と一緒に週末都内へ行き、渋谷や六本木のWaveで大量にレコードを買い占めてきたりしました。
そんなことを何年も繰り返し、洋楽のライブも数多と行き、ふと、思いました。
”結婚しよう ”と。
”生活を変えなくちゃ。それが自分の自然の流れなのではないか。
かつて母が父がそうしてきたように、私も結婚し、新しい生活を始める。
父と母に感謝し、私は新しい人と人生をはじめてみよう ”、と。
そして、付き合っていた人と結婚しました。
買い集めたレコード、CDの 大半を実家に残して、アパート暮らしが始まりました。
一年後に娘が生まれました。でも産後の肥立ちが芳しくなく、体調を崩してしまい、暫く実家のお世話になることになりました。
やはり音楽通の別の友達が出産祝いにSuede のデビューミニアルバムをプレゼントしてくださり、それを聴いたときも衝撃が走りましたが、そのときは本当に体調が悪かったし、育児も大変だったので、余り聴き込めず。
そんな頃ミニコミ時代のSO WHAT と出会いました。SO WHAT は、私に、もう一度文章を書く喜びを取り戻させてくれました。
独身時代に何冊か洋楽系のミニコミを自費出版で出していたのですが、その頃の情熱をも私に取り戻させてくれたのです。
その後、体調も復調してきたので、私はまた自分のミニコミの続きの号を作成しました。その後、イアン・マッカロクとウィル・サージェントのバンド:Electrafixion のファンジン製作もしてみました。
娘の小学校の入学式の年にまた結婚当初の地域へ戻ってきました。
そして十数年。娘も4月から大学生です。
そんな私が今一番マイテーマソングとして聴けるのは、この曲です。
歌詞は辛らつですが、ある意味これは人間の人生の一部分を表しているのではないか、と。
あ、訳詞を読むと本当辛らつですね。
ホテルカリフォルニアに行きたいとは思いませんが、この曲は何十年経っても忘れられません。
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